みやこのよもやま

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日々の節約を中心に、育児や仕事、家庭のことを綴ります。

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【相模原殺傷】事件をみて思い出した。私の母は差別的な人間だったのか?

 相模原殺傷事件から、1ヵ月たちました。朝ニュースで見たときに、これが現代の日本で起きたということが信じられませんでした。

事件の本質とは関係ありませんが、この事件をきっかけに思い出したことを書きたいと思います。

よく、誤解を恐れずに言えば~というフレーズがありますが、今回は誤解を恐れながら、でもどうしても吐き出したいので書いてみました。散文です。

www.nikkei.com

 ずっとモヤモヤしている話

20年以上前の話です。私は確か中学生に上がったばかりだったと記憶しています。

私の住んでいる町は田舎というほどではありませんが、百貨店はなく、ちょっとした買い物をする時には、電車で隣の市まで出ていました。

その日は平日で父は仕事、妹は学校行事でおらず私と母だけで出かけました。

電車内は空いていて私と母は4人ボックス席に並んで座りました。私が窓側です。

目的地まで後3駅のところで男の人が乗ってきました。

当時の私には成人しているかどうかは判断できませんでしたが、「大きなお兄ちゃんが乗ってきたな」と感じたのを覚えています。

そして小学校のころ、特別学級に友達がいた私は、彼が知的障害を持っているということがすぐに分かりました。

 彼は私の正面に腰を下ろしました。

電車が走り出すと、彼は大はしゃぎ。窓の外と私の顔を交互に見て手を、窓を叩き、時には私のほうに身を乗り出して、抱きつかんばかりの大興奮でした。

私は特別学級にいた友達を思い出しながら、ああ、電車が大好きなんだなあ…と眺めていました。

しばらくして、ふと、母のほうを見ると、今まで見たことの内容な険しい顔をしています。お母さんは、こういう人が苦手なのかな?と考えているうちに、次の駅に着きました。

「ここで降りるよ~」

 母はそういうと、私の腕を引きあげ立たせました。降りる駅はまだ先のはずです。

え?どうして?と聞く私の問いには答えず、半ば強引に電車から降りました。

降りてしばらくして、母があのお兄ちゃんから逃げるために電車から降りたことに気がつきました。子ども心に、特別学級の友達と遊ぶ私を周囲が奇特な目で見ていたことは感じていましたから、母も同じような考えだったのか、と怒りと悲しみでいっぱいになりました。

非難がましい私の目に気づいた母は、しばらく考えてからこういいました。

 

「ごめんね。あのお兄ちゃんすごく興奮していたから。もし、みやこちゃんに抱きついてきたら、お母さんの力じゃ引き離してあげることができないの」

 

障害のあるなしにかかわらず、娘がみずしらずの男の人に触られるのをよしとする親はいないでしょう。母は150センチそこそこの身長で、体格もよくありません。まだ若いとはいえ、自分より大きな男の人の力に敵うわけがありません。

私も、確かに知らないお兄ちゃんに抱きつかれるのは嫌だなあ…と思い、多少モヤモヤしたものの、母の言葉を受け入れました。

自分が母になって、母の行動に今思うこと

母は、それ以上自分を正当化することはありませんでした。自分の行動が差別的で、しかも娘の前でしてしまったことに感じるところがあったのでしょう。

母の行動が正しかったのか、非難されるべきなのか…それは私自身が母となった今でも分かりません。

今分かるのは、

私も同じ立場であれば、同じ行動をしたであろうという事。

そしてそういう行動が、彼らを、彼らの家族を苦しめるであろう事。

彼らのことをもっと理解していれば…(たとえば電車に一人で乗れるのですから、他の人に迷惑かけることはないはずですよね)あのとき電車を降りることはなかったかもしれません。

ですが障害を持っている人たちについて知識がなければ、一般的な常識と照らし合わせ、電車で必要以上にはしゃいでいる人は危険、という思考が自然に働いてしまうのではないでしょうね。それが偏見だ、といえばそうかもしれませんし、違うといえば違うかもしれません。

答えが出ないまま、この一件を一生引きずっていくのだと思います。